裏側を磨け。

裏側を磨け、と書くと、なんか教訓めいた話のようですが、実はけっこう単純でして、「歯の裏側」の話なんですね。


最近歯医者に行ってるのですが、椅子に座ると歯科衛生士さんが歯ブラシを使って「歯磨き指導」をしてくれるわけですよ。
ま、実際に磨いてくれて、「ここはこう磨いてくださいね」というような事なんですが、僕が行ってる歯医者さんでは、ちょっと待ち時間が発生すると、その合間の時間で歯磨き指導をしてくれて、これが気持ちいいわけです。

歯磨き指導と言っても、実際には磨けていないところを集中的に磨いてくれるというようなことですから、いつも自分が磨いていても磨ききれていないところを磨いてくれることになるわけで、これが実に新鮮なわけです。

「その角度で、そう入れて、そう磨くか。ふふーん。」てな感じですね。

いや、そこまで複雑な話ではなくて、耳かきを思い出してもらってもいいでしょう。自分では見えない場所を、誰か他の人にケアしてもらうというのは、「自分では出来ない」ことだからこそ新鮮で気持ちいいんだと思う。

なんというか、自分の汚いところや、汚れている部分というのは、自分だけの力ではわかりようがなくて、そして、ここが大事だと思うんですが、他の人から見たら、けっこう簡単というようなことではないかしら、と思うのです。

自分では見えないけれど、自分以外の人に覗いてもらえば、それはとても簡単に「見える」ことなんですよね。

で、ふと思ったのは、ありとあらゆる商売が、このルールで成り立っているのかもしれないな、ということです。

たとえば美容師さんなら、技術は別として、とにかく「自分の頭の形を自分で見ることはできない」という事が商売のタネなんだと思うんですよ。そこに物事の本質がある。

貿易が成立するのも、海に住む人が山に住む人と、お互いの獲物を交換したことが基本で、海に対して山が裏であり、山に対して海が裏なんですね。

で、おそらく、それと同じくらいに大事なのは、その「裏」が、「自分では自由に取り扱えない」ということをよく知っているという事なんだと思う。

耳の中は見えないし、歯の裏側もそう簡単には見ることは出来ない。それをみんながわかっているから「他の人にやってもらう」という事が当たり前に受け入れられるんだと思うのですよ。

加えて、その「裏側を見る行為」が誰にでも簡単にできることというのが、これまた大事な気がするのです。自分の頭の後ろを見るなんてことは、そうそう出来ることではないのですが、自分以外の人の頭の後ろ側なんて誰にでも見れますからね。

だから「だれかに頼めばいいのだ」という発想が出てくるわけで、この「他人の裏ならすぐわかる」という、意地悪な視点なくして、商売って成立しないのかも知れないなぁって極論を思いついたのであります。

んー、まだこの話は未整理だね。
またそのうち書きます。

では。