人生の後半とは何か。

斉藤茂太さんが90で逝かれた。で、たまたまよそでシャガールの人生について書いたんですが、シャガールは96まで生きたし、最初の奥様を亡くした後、50過ぎてからめとった嫁、および、その後の離婚・再婚と過ごして、60過ぎからの作品の方が、完成度は高いし、大作も多いんですね。
僕の好きなミュシャも年をとってからの方が大作が多い。(大きすぎて移動できず、世界的には有名ではないですが。写真で見るだけ。)

そんなこんなを考えると、「人生の後半とは何か」ということを考えざるを得ないんです。


40を過ぎると、人生の半分を過ごしたということで、残り人生の方が少なくなってくるんですね。
そして、「いままで生きてきた人生」をベースに「これからの残り半生」を想像するので、「ああ、大したことなんてできはしない」と思ってしまうのです。

これが、40代の危機とかミッドライフクライシスとか言われる「心の迷い」の構造なんですね。

でも、この数年、50を過ぎた方にそういうお話しをすると、まぁたいていは「そうやねー、その年齢の時はそんなことも考えたけど、50過ぎるとそんな事考えへんねぇ。思ってたよりまだまだやれるし、人生面白いよ。」という答えの方が、はるかに多いんですね。

ほんと、女性の場合だと、三十代の後半くらいから「産むのはもうあと数年だ」みたいな焦りがはじまって、男性でも40代に入ったあたりから残り人生の少なさに愕然とするという感じになるので、40を境に前後7〜8年というのは、精神的にものすごく不安定になるんですね。

それこそ「第二の思春期」って感じになる。

でも、それも、あくまで、「期」なんですよ。つまり、いずれ終わる。そういう焦り自体がなくなる。そして、焦りがなくなった後の安定した心持ちというのは、多分、それ以前よりはるかに深く心が耕されていて、実りの多い、豊かな人生であるようなのです。

どうもね、40代の間は、その実りの豊かさが、さっぱりわからないようなのですよ。


でも、知り合いの50代の方数人に話を聞き、90代の斉藤茂太さんの著作を読み、シャガールミュシャの人生を概観してみるに「まだなってもいない50代60代の事を、そんなに心配しても意味ないんちゃうんけ?」という気にはなってきましたな。

たぶん、人間は、自分の感性だけで判断していると、どうしても偏りが出てきてしまうのだと思うのですよ。
この数年の事を思い出しても、やっぱり僕は自分の視野にとらわれすぎで、人生の問題を相談するにしても友達、つまり「同年代」の人間にばかり相談してきた傾向があります。

もう正直言いましてね、「40代の危機」の人間同士が相談してもパニックが大きくなるだけなんですよ。危機同士なんだから。
それはアカンやろ、って思う。


ちょっとは年を食った人の話に耳を傾けなさいよってことなんですね。あるいは「人生」ってものを、もっとマクロに全体像として見るということ、あるいは「年食った時の境地は、今からではわからん」という「わからんものはわからんままにする」という賢さが必要だって事ですね。

人生はたぶん、基本的に豊かなんです。どうも。
で、人生のド真ん中では、それが全然見えてないっていう、ただそれだけの事なんだと思う。
たぶん。

で、「たぶん」でいいんだよね、「たぶん」。