怒りっていったい何?
もともと、私、一度怒ると、その怒りが、なかなか収まらない人だったんです。
というのはね、根が論理人間だからなんです。
どういう事かというと、どんなに自分にとって不利益な事であろうと、「筋が通っている」という話に関しては「まぁ、そういう事もあるよな」と腹に収めることの出来る人な訳ですよ。もともと。
どんなことでも、まぁたいていの場合は「致し方ない事情」というのがありまして、その事情さえ聞けば「しゃーないなぁ」と許してしまえる人間なわけです。
でも、しかし。
世の中、論理人間だけで成立しているわけではありません。感情をベースに生きているという人も多数おられるわけです。そういう人たちは、気分を害された時に理屈ではなく感情で物事を判断されます。
さぁ、これです。
これが納得いかないわけですよ。私みたいな論理人間からすると。「なんやそれ、その判断は、単なる勝手気ままなワガママ判断でしかないやないか!」となりまして、怒りの感情が出てきてしまうわけです。
これがね、収まらない。
本当におさまらなくなってしまうんですね。
そんなスジの通らない話、許せるもんじゃないよ。
ってなっちゃう。
で、怒りがコントロールできないくらいに大きくなってしまって困ってたんですね。論理的には相手が間違ってることだけははっきりしてるわけだから。でしょ?
だからどうしても許せなくなってしまって、その自分の怒りに振り回されてしまうくらいだったわけです。
腹が立って、仕事が手につかないとかさ。
アホな話ですが。
でね、この「怒り」をなんとかコントロールできないのかと、ずーっと悩んでいたんです。
たとえば、
怒りをコントロールできる人、できない人―理性感情行動療法(REBT)による怒りの解決法
- 作者: アルバートエリス,レイモンド・C.タフレイト,Albert Ellis,Raymond Chip Tafrate,野口京子
- 出版社/メーカー: 金子書房
- 発売日: 2004/06/01
- メディア: 単行本
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こんな本を読んだりね。
でも、それでピタっと怒りが収まるわけでもなかったのですよ。こういう方法論の書籍は、ある程度までは役立つけど、本質的には解決には至らないって感じがありますね。
でもね、付き合ってる彼女とケンカになって、どうしようもなくなった時に、とにかく謝ってしまわねばと思って、「そうだ、全部俺が悪いんだとしてみよう」と思ったらね、驚くなかれ、長年コントロールするのに苦しんできてた「怒り」がすーっと潮が引くみたいのおさまってしまったんですね。
いやー、これには驚きましたね。
そうか、そうやったんや!
と目ウロコでした。
で、一度反省するようにすると、いくらでも反省のタネは出てくるんですね。ああ、私もあそこが悪かったよな、ああ、そう言えば、こういう点もまずかった、というのが次々出てくる。(当然、自己主張が足りなかった、失敗したなぁ、というのもあります。反省するからと言ってションボリすることとは違う。)
考えたら当たり前なんですが、人間、テレパシーなんかないんだから、相手の考えを変える事なんてできない。できるのは自分の考えを変える事だけです。で、自分の事ならいくらでもやれるわけですよ。簡単。
だからストレスがないんですね。
なので、大切な事は、怒りに気が狂って、それに振り回されてしまっているな、そこまでヒドイ状態だな、と思ったら、とにかく「この気に入らない事態の責任は、全部、私にある。私が原因で起きているのだ。100%私が悪いのだ。」と、考えてみるべきなんですね。
そう考えてみるだけで、とにかく、最低限「怒り」という非生産的な感情はスッと修まります。
結局、
怒りと反省は同居できない。
って事だったんですよ。気に入ってるからって、二足の靴を同時には履けないというのと同じくらい当たり前の事だったんですね。
こういう事が、僕にとっては、ものすごい大発見だったのであります。