予定表と日記帳

そろそろ来年の手帳を選ぶ時期が近づいて、書店には黒革の冊子がずらりと並んでいたりします。
しかし、この「手帳」をどう使うかで、心のあり方に随分と違った影響を与えるのだということを、はっきりと意識して書いてあるような書籍というのを、僕はあまり見たことがない。
本当はすごく重要なのに。
通常、手帳はスケジュール帳として使われます。
当たり前のことなんですが。
でも、この「スケジュール帳として使う」というのは、実はけっこう難しい使い方なんですね。

「なんで?」と思う人もいてると思うのですが、ちょっと冷静に考えていただきたい。
人間は未来を完全に予測することは不可能なんですね。それを手帳に書き込んで、なんとかしようとしてるのが「スケジュール帳として使う」ってやり方なんです。本質的に不可能な事をしてるわけです。

話が長くなるので、「正しい予定表の使い方」の話は簡単にまとめますが、本当はとっても難しい。
それでも最近は「予定表」ブームで、書店などへ行くと「夢をかなえる手帳」とか、そういうのがたくさん売ってるわけですが、これはまさに「本質的に不可能」なことに「解答」を与えてくれそうだから売れてるわけです。

簡単に僕なりに「正しい予定表の使い方」を書いてしまうと、

●実現可能な事だけ書く
●長期目標を予定表とは別に立てる

という2つのテクニックをきちんと身につけないと、

「わぁぁぁ、やろうと思ってたのにできなかったよ」
「なにをやっても俺は失敗ばかりだ」
「うーん、仕事が忙しすぎて、何もできないよ〜」

にしかならないのです。

ま、これが答えなんですが、大事なのは「手帳に書いた内容で、こころのあり方が大きく左右される」ってところなんです。
ここは大きなポイントなんですね。

だから手帳はつねに心を安定に導く装置として設定しておくべきなんです。

で、ここに、実は、

絶対に失敗のない手帳の書き方

というものは存在しているのです。

それは、「手帳を予定表としてではなく、日記帳として使う。」という方法です。

予定と日記がどう違うのか?
ちょっと考えてみればすぐにわかりますが、それは「実際にやったかどうか」の違いなんです。

もうね、今週の予定が来週になるような「スケジュール」は、もう「テキトーでいい」と割り切っちゃってください。そんなもんに価値はあんまりありません。
忘れるような予定、ころころ変るような予定は、もともとあなたの人生には、それほど重要な予定じゃないんです。

本当に大事な予定は頭に入れる。もうそういう気持ちになってください。(というか私的には他にいろいろ方法は持っていて、それはここに書いてもいいんだけど、それはこのブログの趣旨と違うので書きません。)

そんな事より、心の安定、おだやかな精神、幸せであることの方が、はるかに重要な事なのです。
だから幸せになりたいのなら、不安定な「予定」なんぞに時間を使わずに、実際に行った行動をメモする「日記」に手帳の内容をチェンジして欲しいのです。

手帳を開いて、明日の予定やら来週の予定やらを、うんうん唸って書き込むヒマがあったら、昨日、おととい、一週間前に、自分が何をしたかの「記録」をつけてみて欲しいのです。

というのは、
実際に行動した自分だけが本当の自分
だからなんです。

自分が、本当に何が出来る人なのか、ということを分らずして、予定なんか組めるわけはないんです。
何か仕事を与えられて、その仕事をどのくらいの時間でやったのか。条件はどうだったのか。やってて楽しかったのか辛かったのか。で、それは何故なのか。
こういう事をえんえん考える事の方が、わけのわからん「予定」なんぞのことを考えるより、何十倍も効果は高いんです。

少なくとも、「心の安定」のためにはね。

だからもう、とにかくスケジュールは立てるな。
それより業務日誌や、行動日記をつけろ! と僕は言いたいのです。
そうするだけで、いきなり「幸せ」が手に入ります。
ここ、大事なポイントですよ。
自分がやったことは、具体的事実としてある。
それを「私は、それを成し遂げた」と、肯定していくという作業をするって事なんです。
多少は反省もしなきゃなりませんが、それも「次からはこうしよう」という改善案を考えつつする。
とにかく「俺はこれだけの事をしたんだ」と、自分を肯定するために手帳を使うんです。

こうすれば、手帳に振り回されることは絶対にない。手帳を見るたびに落ち着く。
完璧な手帳がここにあらわれるのですよ。

なので、
手帳に書くべきは「予定よりも日記」
ということを、私は言いたいのであります。

長くなるから、今日はここまでね。