こころの問題は、いつもメルヘン。

こころの問題というのは、いかに深刻な問題であろうと、本質的には「メルヘン」なのだと思うのですよ。

というのは、多くの心の問題は「現実を見ない」という特性から生まれている事が多いからです。

いま話題の自死の問題だって、本質は現実を見ないで、現実から逃げたいというメルヘンがそこにはあるわけです。

だからメルヘンをバカにしてはいけないのです。

とくに、人の心の問題の多くは、子供の頃の親子関係などがスタート地点になっていて、幼い子供の頃の無茶な「合理化」(=論理的整合性のない意味づけ)が原因であることも多いので、その魔法を解くためには、おとぎばなしの抽象性を逆利用することが大切であったりするのです。

たとえば依存症(アルコール・タバコ・ギャンブルなど)になってしまった人が依存から抜け出すのに必要なのは、薬などの物理的な道具ではなく、「自分で自分にかけてしまった魔法を解く」というような、脱洗脳の物語の提供というような事の方が、はるかに効果は大きいわけです。

「魔法をかける」という言葉は、エンチャントとかエンチャントメントとか言いますが、まさに脱魔法化こそが、心の問題の大きなテーマだろうと思われるのです。

現代はメディアの氾濫によって、この要らぬエンチャントメントが多すぎるのです。

●●は××であらねばならない。
いま流行は△△だ。

などなど。「法則」が自分の内部の観察から生み出されるのではなく、他者によって規定され、それにあわせていくしかなくなってしまっているわけです。

だから「自分の本当の声」を聞くことができなくなってしまっている。
世間の常識という段ボール箱に、自分を入れようとして、入りきらない自分をもてあましてしまったりする。

そうじゃないんだよ。
まず自分の心のサイズをしっかり測ることだよ。
現実の自分の姿をちゃんと見て、「自分を入れられる箱を探す」あるいは「作る」という事をしないとダメなんだ。

で、そこを考えるために、おとぎ話の抽象性が、意外に大きく役立つのです。心の中にあるコンプレックスを解消しようとすると、理屈はどんどん複雑になるし、医学的に考えれば、それこそ脳神経の問題にまで考えを広げなくてはならなくなって、超むずかしい話題にしかならない。

でも、多くの心の問題は、もっと生活に密着していて「わかりやすい例え話」で整理されるのを待っている状態なのです。

依存を解く、のは、やっぱり「自分でかけた魔法を解く」というスタンスで考えるのが、やっぱりわかりやすい。
あとは、それをどう道具立てするかとかだろうなぁ。

なんか、すごく抽象的な話になったので、今日はここまで。
ではでは。