明日の朝目覚めることが…。

今日は、ある歌の歌詞から。


  明日の朝目覚めることが 楽しみならいいね
  しあわせなんてほんとは ありきたりさ つづくよ
  つづくよ

この歌詞、なんて歌か分かる人はかなりマニアックです。


調べてみたら、20年も前の曲だったんですねぇ。
答えは斉藤由貴の「家族の食卓」。
作詞も斉藤由貴

もうメロディーも思い出せないのですが、とにかくこの「明日の朝目覚めることが、楽しみならいいね。」という歌詞が、もう20年ずーっと頭にこびりついて離れないのです。

(この曲、歌詞がとても良いのだけれど、それはまた別の話。)

で、頭にこびりついて離れないのに、この歌詞の素晴らしい意味が、20年もの間、さっぱり、まったく、全然、ちーとも、一切、僕には分かっていなかったよなぁと、最近になって思ってきたのであります。

ちゅうかね、多分、分かってないけど何か重大なヒントがあると思っていたから、頭にこびりついて離れなかったのだろうと思う。

でも、この間、ふと、この歌詞が頭にこびりついて離れなかった理由が自分で、かなりはっきりとわかってきたのであります。

ようは、前からうまく行かなかった、「早寝」のヒントが、ここにあったからなんですね。

単純な話、なかなか寝付けないのは、「寝る前に楽しみを先取りしているから」なんですよ。ネットをしたり、テレビを見たり、本を読んだり。

でもね、その「楽しみ」を、明日の朝に先送りしてしまったらどうなるか? ようは「明日の朝、目覚める事が楽しみ」となって寝る事が出来るという事なのですね。

楽しみを朝に持って行くという事ですね。

この肝心の事をしなくて、早寝ができるわけはなかったのであります。

ようは

楽しい事でも、なんでも、先送りにしてしまえ。

という事だったのです。
ある意味、「ええかげん」になれ、という事かも知れませんな。

なんのために早寝早起きをしなきゃならないか? というと、一つには「世間がそうなっているから」というのがありまして、遅起きなんかしてたら、世間が目覚めて、騒がしくなっても、まだ寝ている、つまり睡眠の質がとっても悪い、というのがあるんですが、それとは別に、

自分のやりたいことをやるため。

というのが、大前提なわけです。
この「楽しみ」自体を忘れてたら、そりゃダメですわなぁ。
目的もなく早起きなんてできねぇよってことです。

あと、「ああ、そうだなぁ」と思ったのが、「目覚めを楽しみにする」というのは「寝ることを楽しみにする」というのではないって事ですね。

「眠るのが楽しみ」ってのは睡眠が目的になっていて二度寝やら質の悪い長時間睡眠に陥りやすい。

だから、そうではなくて「目覚めが楽しみ」っていう具合に、発想を転換しないといけないんですわ。きっと。

まぁ、そんな事を思っていて、これは本当に良い発見だったわ、と思ったんですが、さて、本当に実践できるかなぁ。

うーん。