寝ることも「技術」なのだなぁ…。


う〜む。なんとか朝6時起きを続けている私であります。画期的ではあるのですが。


ちょっとね、先日の美波紀子さんの書籍を読んで、とにかく朝の起きる時間を早めるというところからやり始めているのです。まだ二週間経ってませんが、とりあえずはなんとか続いております。定着するといいんだけどなぁ。どうなるかなぁ。


で、この数日で良く分かったことは、寝ることも技術なのだという事でした。


なんちゅうかね、「寝ズレ」に関しては、世間一般的に「当人がズボラなだけ」というイメージがありまして、これが話をすごくややっこしくしてるんですね。


ここを当人の責任だけ、と突き放してしまうと、上手に眠るための必要条件とかが明確にされなくなってしまって、「寝ズレ」を起こしてしまっている人間は途方に暮れるということにしかならないんですよ。


で、物事は悪循環しだすとどこまでも行ってしまうのですが、寝ズレを起こしている人自身が「俺がズボラなだけ」と自分を責めると、よけいに夜の早寝が困難になるんですね。自分の責任だ!と思うと緊張して寝れない。そりゃそうだよなぁ。


でも本当は、「技術」とか「コツ」ってのがあるわけです。美波紀子さんの本にも書いてあったけど、コツはある。そのコツをつかめば、当人の努力とかが最小限で生活時間をまともな方に持って行くことができるんですね。


どんなコツがあるのか? って事に関しては、また書くとして、それより何より、まず、寝るのも技術なのだ、学んで学習すれば身に付くものなのだ、という捉え直しをすることが、何より必要な気がしますね。


このあたり、正直、かれこれ20年近くも寝ズレで苦しんできた私としては、声を大にして言いたい。


「寝るのも技術なんだ!普通に寝てる奴はそこを知らない!」


という事です。


親がまともな人で、早寝早起きの習慣を持っていたとしたら、実は、そういう「早寝早起きの技術」というものを、生活の中でいつのまにか実践していて、それを知らないうちに取り込んでいて早寝早起きができるようになっている、という人もけっこう多いのではないかと思うのですよ。


そういう人は「寝る事が技術である」という事がわかってない。だから、寝ズレの恐ろしさや苦しさって言うのが、いまいちわかってないんですよね。


もうね、20年苦しんで来たから、よくわかるけど、寝ズレは本当に大変なんですよ。いったんズレはじめると、どんどんズレるんです。
で、それは「眠気」という、自分では簡単にはコントロールしにくい生理的欲求との戦いだから、すごく辛いんですよ。ほんとに。


眠気なんて生理的欲求だから、それと戦ったって、勝てるわけがないんです。だから基本的にはコントロール不能なんですね。だから精神的に苦しいんです。ちゃんとまともな生活をしたいと当人は思っているのに、体が言うことを聞いてくれない。どんどん夜更かし人間になって、朝の起きる時間がズレる。


もうね、一度ズレ出したら、本当に大変なんですよ。まともに戻すのは並大抵の努力では無理なんです。まず、その大変さを明確に理解しないといけないって思うんですね。それは寝ズレを起こしている当人もそうだし、回りもそうです。「体が言うことを聞かない」っていう苦しさは、完全にこの「寝坊は当人のズボラ」という前提から生まれている苦しさなんです。


確かに当人の責任っていうのも何割かはあるわけですけど、それより他に、環境のせいとかの「テクニック」的要因というのも、かなり大きいわけです。


で、今回、ちょっといろいろ睡眠関連の本を読みあさってみて思ったのは、まともな本がものすごく少ない。寝ズレ(睡眠相遅延症候群または前進症候群)を起こしている人間は「精神的」に苦しんでいるのであって、そこをまず理解してもらわないとたまらないって思った事です。


眠れないのは当人が悪いのではなくて、テクニックが間違ってるから、なんです。で、こここそが、もっとも重要なことだったんだなぁと、今更ながらに、改めて思うのですよ。


このあたり、いかにテクニックが重要か、ということをしつこくしつこく書かないと、寝ズレの苦しさは、そう簡単には治らないんです。ここが一番のポイントじゃないかとすら思いますね。いったん睡眠時間がズレてしまうと、ズレた時間帯で安定してしまう事も多いわけです。そうなると、この肝心の「眠りはテクニックである」という側面が意識から抜け落ちて「私はズボラな人間だ」という刷り込みを毎日行ってしまう事になるんです。


ここが怖い。


この無意識の罪悪感こそが、さまざまなテクニックを駆逐するほどに大きくなる可能性があるからこそ、寝ズレってのは怖いし、大変なんです。
だからまず「寝ズレは単に技術の未修得状態でしかない」という観点に立って、状況を見る目が必要だろうなと思うのです。


ちゃんと健康的に寝起きが出来てる人でも、実は、そういう技術を言語化するところまではしてないわけですよ。ただ習慣として身に付いてるだけで。早起きの人がセロトニンの原理を知ってるか? って言ったら知らないわけですから。でしょ?


寝る前にカーテンを閉めずに、自然の光で起きるようにするとか、起きたらとにかくすぐに散歩に出て太陽の光を浴びるとか、散歩によるリズム運動でセロトニンの分泌が促進され、目が覚めやすいとか、そういう簡単で効果のあるテクニックなんて、そんなに一般的に解明されてないじゃないですか。


そのくせ、夜中までテレビやインターネットはあるわ、小さいサイズで明るい電球は生まれているわ、ありとあらゆる環境が「遅起き促進環境」になっているわけで、そんなもの、ちゃんと技術を基礎から学ばないと、まともに早起きなんかできないですわねぇ。
それを本当に、しみじみと感じているのですよ。


電球一個にしたって、昼光色とか昼白色とかの蛍光灯の光ではなくて電球色の光に変えないと寝にくいわけですよ。そういう事は家族の習慣になっていれば難しくないわけですが、僕なんかは単純に「明るいのが好き!」ってことでずっと電球色の電球って使ってなかったし。いまや電球色の蛍光灯もあるんだしねぇ。そういうことをキチンと学ばないと早起きはできないです。環境をちゃんと作るってことですね。ようはテクニック。


ほんと、朝日で起きるようにして、朝、公園に散歩に行くようにし出したら、夜もちゃんと早くに眠れるようになってきたわけですよ。やっと、やっとです。
それでもまだ、雨の日とかはセロトニン不足で、自営業の気楽さから午前中に、また仮眠をつい取ってしまったりとかいう失敗もしつつなわけですが、それでももう「俺は睡眠が苦手よなぁ」とかの苦手意識は持たないようにしてるのであります。
それは論点がズレてる。単にテクニックの修得ができてないだけ。そういう観点こそが大事なのであります。


という事で、寝ズレで苦しんでいる方がおられましたら、ぜひぜひ、まず、「眠るのもテクニックである」「睡眠は技術であり、ひとつずつ身につけて行くものである。」という考え方をこそ、大事にして欲しいと思うのであります。
決して、寝ズレ状況そのものによって「私はズボラ人間」という無意識の思いこみを膨らませてしまったりしないように注意してくださいませ。「寝ズレは治る」まず、そういう当たり前の意識を持つことが、大切だと思います。


ま、そんなことでした。