体温と情熱。

最近、つくづく思うのは、「こころとからだは分離不能」という、あたりまえのことなんですね。
前から、心の問題、たとえば「うつ」とかを払拭するのに、軽い運動が効果があるというのは感じていましたし、自分でも気分がふさいだり落ち込んだりしたら、とにかく散歩に出るとかしてはいたのですが、この問題を「体温」で考えたときに、いろいろ腑に落ちるところが出てきたのです。


それはキーワードとしての「情熱」ってことですね。

何か物事を「熱く語る」っていうのは、ようするに情熱ですよね?この情熱を生み出しているのは、精神活動と言うことも大きいだろうけれど、単純に体全体の体温の問題も大きいのではないだろうか? という気がしてきたのです。


頭で考える作業をすると、頭が発熱して、カロリーを消費するらしいのですが、運動をして、筋肉を増やし、体温を上げる事でも、考える作業と同じように発熱して、それが「情熱」になるのではないか?という感じがあるのです。


頭だけで考えた文章と、腹から信じている文章には、相手に到達する到達力が違って来るように思うのです。その「届く」かどうかのポイントが、やっぱりそれは「情熱のあるなし」だろうと、最近つくづく思うのです。


だから、日々ウォーキングをして、体温を高める事で、人間関係においても、意志の通じやすさが高まっていくという気がするのですね。


もちろん、「通じさせよう!」と思わないと、それは無理なんですけど、そう思えるテーマに関しては、自分の内面にある情熱を信じる事が大事で、で、その「情熱」のうちの何割かは論理的な事より、単純に「体温」なんじゃないかって気がするのです。


だから、極論を言うと「自分の体温を信じよ」という事になるし、計画成就するためには、ウォーキングせよ、という事になってしまうんですね。


んー、でもそういう事なんじゃないかなぁ、大きな基本として。
最近はそんな事を考えてます。